タイースのライヴ盤CDだが、ボーナストラックに1953年10月1日ペルージャのサン・ピエトロ聖堂でペロージ作曲『キリストの受難』フェルナンド・コレナ共演、フランコ・カプアーナ指揮のライヴ録音が入っている。バスティアニーニはキリスト役を歌っている。音が余りにも悪すぎるが、耳を凝らして聴くとバスティアニーニの様式感ある歌唱と憂愁を帯びた声が音楽にマッチし、キリストが神であり人間である人物像を気品高く歌い上げ、聞いているともの悲しさで胸が締め付けられてくる。バスティアニーニに向いている。ペロージはこの時はまだ存命中である
1951年のRAIから『イル・トロヴァトーレ』とあるが、まだ1951年はバス歌手だった。この音源データが間違いでないなら真に妙なことだが、バスティアニーニにこのような機会があったのか。イタリア語の解説には大体次のことが書かれていた。1951年ならバスティアニーニはまだバスの声部で歌っていたのだから、このRAIの記録は特別に重要なので、このCDにプロデューサーは付け加えた、たとえ声が低い声であっても書かれてある。 『イル・トロヴァトーレ』から<4幕レオノーラとの2重唱>:以前から声が変だなと思っていた。しかしリズムに乗った歌の巧さ、言葉の出し方はバスティアニーニそのものだった。バスの時代に実際にバリトンの歌を歌っていたという発見は、バスティアニーニの最も古いバリトン録音である『スペードの女王』より以前であるので、塗り替えられることになる。2重唱の声はバスとバリトンの間くらい、ラストの高音はバリトンの音域であるが、本人がルーナを歌っている時の高音よりも低い。声が硬く単色である。バリトンの声になっていないと、あの胸の奥にキーンと響く切なさ、憂愁を感じる声が不思議なくらい全くないなあと変な感心をしてしまう。また声のふくらみと柔らかさもない。1950、1951年公演データから探すが発見できなかった。1950年12月29日にRAIトリノで歌ってそれが翌年の1951年に放送を行ったのか、それとも1951年ベッタリーニとバリトン研鑚時の頃にRAIで機会があったのだろうか。レオノーラを歌う歌手マリア・ペドリーニとは1948年に2回、1949年に1回共演している。しかし指揮のA・Camozzoは見つけられなかった。とにかく謎である。
『リゴレット』から<悪魔め鬼め>:声はたっぷりし、美しく柔らかく温かみがある。半面激しく強い流れがある。リゴレットの無念の思いが一気に歌われる迫力がある。『オテッロ』<イアーゴの信条>:素晴らしすぎる。美声がとうとうと湧き出ている。オペラのシーンを十分彷彿させる。強く暗いムードを美声に作る。歌唱の巧さは絶品である。『仮面舞踏会』<おまえこそ心を汚す者>:声にふくらみがあり柔らかく、この世の声でないよう。まさしく天性の声と歌唱力を授かったように歌う。なんなく旋律に乗って曲と一体になっている。メルカダンテから<Sogno>:ピアノ(バリトンへの変更を奨めレッスンを授けた教師のルチアーノ・ベッタリーニの伴奏)とチェロで歌われる。暖かい艶のある美声が終始チェロの声と掛け合って流れる。歌曲として良くまとめられている。この曲はバスティアニーニ程の声量ある美声で歌われてこそ活きる。ボッシから <Non posso credervi>:アリアのようにスケールは大きいが音楽のテンポを良く活かし、曲のイメージをよく掴み表現している。『アンドレア・シェニエ』<祖国の敵>:CD解説にシカゴ1957年とあるが、シカゴではこの年、このオペラは歌っていない。舞台ということもあって時に感情を顕にする個所もあり、ジェラールとなって旋律に乗っているが、バスティアニーニには珍しく全体として少し集中力に欠けた感がある。他のこのアリアを歌ったものと比べれば珍しく少し違う声が出ている。細くて軽い声が混ざっているのはこの頃の声としては異例である。データに?1957年はオペラでは『アンドレア・シェニエ』を歌っていない。1957年1月にミラノでコンサートがあり、そこでこの曲が歌われている。だがシカゴで指揮者ゲオルグ・ショルティのデータを正しいとするならば、1956年11月10日シカゴ、リリック・オペラでオペラコンサートがあり、この曲をショルティ指揮で歌っている。解説書の1957年は誤りであると推測する。『アニーよ銃を取れ』から<何でもあなたはできる>:1960年のベルリンでの『こうもり』のガラ・パフォウマンスのシーンに収められている。ミュージカルだからか、音域が少なくバスティアニーニの地声そのもののような美声が楽しめる。またイタリア語の早口と英語が混ざる会話も貴重である。
6曲全てが素晴らしい。たっぷりとした声で柔らかさ暖かさ強さ深さが、各アリアで縦横無尽に歌い上げられている。見事にオペラのシーンに作られ繰り広げられている。6月4日というデータから見るとバスティアニーニのプライヴェートな部分で多くのことがあった。疲労が蓄積されていた時期でスカラ座の『リゴレット』で不本意な聴衆の評価に遭い、母を亡くし、自分自身の病魔に気づき出していた頃だった。 『道化師』から<プロローグ>:同年の10月のサンフランシスコ・オペラライヴ盤も良いが、こちらの方がもっと声のふくよかさと気品がある。『セヴィリアの理髪師』から<私は町の何でも屋>:この曲はこの時と1956年のオペラライヴ、スタジオ録音と日本でのリサイタル時だけでしか私達は聴けない。雰囲気に乗って声が良く出て明るく若々しく歌っている。日本の時以外、このアリアはすべて素晴らし過ぎる。誰がこれほど早く軽く楽しく美声で抑揚をつけて歌えるだろうか。『オテッロ』から<イアーゴの信条>:表現できないほどの完璧さである。『リゴレット』からの<悪魔め鬼め>も完璧である。このアリアもスタジオ盤とシカゴのオペラライヴからと1957年のRAIとこの1962年のRAIと日本でのリサイタル盤からしか聴けない。『カヴァレリア・ルスティアカーナ』から<馬は勇み>と<サントッツアとの2重唱>をアントニエッタ・ステッラと歌っている。違う二つのシーンの明暗を声によく投影していてデュエットは白熱の趣があり、スタジオ録音のみしか音源がないので貴重である。
1963年のマスカーニからのオペラアリア<友人フリッツ><ロドレッタ><仮面>は興味深い。バスティアニーニは来日時1963年にマスカーニ生誕100年祭で歌うためマスカーニの多くのオペラを勉強した、という談話が日本の音楽雑誌に掲載されていた。声にふくよかな柔らかさとベルベットの尽きることないような光沢ある美声は、僅かに少なめには感じるが、豊富な表現力で引きこまれる。オペラの流れ構成を掴む知性と感の良さと歌の巧さを感じる。
バスティアニーニ・リサイタル・1965 BASTIANINI LIVE IN TOKYO K32Y185
東京リサイタルは幾つかの盤があったが、日本のキング盤の音が良い。 1965年6月9日東京文化会館ライヴ盤、ピアノ・三浦洋一 <清いおとめ、愛の泉よ>(ドゥランテ)古典歌曲の雰囲気が出て様式感のある上品な歌唱。<いとしい恋人よ>『パレスとヘレネ』(グルック)淡々と歌う中に古典情緒の香り。低い声が中々良い。<動いてはいけない>『ウィリアム・テル』(ロッシーニ)幾つかの個所で声が細く軽くなったが、この感動的なアリアをとにかく歌いきる。<私は死ぬ>『ドン・カルロ』(ヴェルディ)ファンはこのアリアの数々の名唱を知っているが、ここでは懸命にこのアリアのシーンを再現している。時に感動的な歌唱ポイントがある。<悪魔め鬼め>『リゴレット』(ヴェルディ)バリトン歌手としてのキャリアの凄さがここでは見られる。声と表現の深さが感じられる。<窓辺においでよ>『ドン・ジョヴァンニ』(モーツァルト)正面から誘惑するタイプの明るいドン・ファン。<わたしは町のなんでも屋>『セヴィリアの理髪師』(ロッシーニ)最盛期と比べると声の柔軟さと明るさと輝くばかりのオーラが欠如し、高音はかすれたが、それでも立派でほぼ完璧な歌唱で聴かせる。<セレナード>(トスティ)リズムとメロディに良く乗っている。声も音程も良い。<妖精のまなざし>(デンツァ)たっぷりと歌われて恋や愛というより自然界での詩を思わせる風格がある。バスティアニーニらしい声だが、やはり声がざらついている。<帰れソレントへ>(デ・クルティス)スケール大きく恋の当事者ではない包容力のある人間味が感じられる。言葉と声から意味が齎され説得されているような力を持つ。<カタリ・カタリ>(カルディエロ)声が良く出ていて音楽にマッチしている。たぶん数年前のバスティアニーニであったら、もう少し感傷的な魅力がでたかもしれない。<オー・ソレ・ミオ>(ディ・カプア)低音の多い個所はバスティアニーニらしい深みのある声だが、高音は声が細くなる。力強いオー・ソレ・ミオである。<こおろぎはうたう>(ビルリ)温かみのある人間、自然界の空気、といった大きさと風格のある歌を作っている。バスティアニーニの言葉に説得性があり、声に品挌がある。筆者はこの曲を大変評価しているが、嬉しいことに三浦氏からバスティアニーニもこの曲が好きであったと聞いた。<国を裏切る者>(祖国の敵)『アンドレア・ショニエ』(ジョルダーノ)声は細くて輝きも薄れた部分があるが、曲全体の緊張感とうねりがあり、集中力のある歌となっている。最盛期を過ぎ散漫でひどい声の混じった歌でもコンサートを行う歌手は多くいる。そのような例からするとこの歌唱はまだまだ引退ではなかった。立派である。
コンサートは東京で4回、横浜で1回、大阪で1回行われた。この時日本人のコンサート関係者、スタッフ、通訳、評論家、声楽家等、誰もバスティアニーニが病魔に犯されていることを知らなかった。声はこの頃の体調から考えると日本滞在の約3週間は幸運にも良かったように見える。リサイタルは日本人としては初めてバスティアニーニの歌曲を聴いたことになる。筆者は古典歌曲の声にも渋さ、低音の響きに味わい深さを感じた。イタリアカンツオーネの曲もテノールでないバリトンで歌われると、違った雰囲気や趣があり、恋や愛という露骨な世俗性ではなく品位があって清潔感を感じる不思議さがある。オペラのアリアは舞台で多く歌った曲以外に『ウィリアム・テル』『ドン・ジョヴァンニ』などが含まれ、従来の録音では聴かれないアリアで貴重である。声は中音域以上が細くなり、また輝きが失われているが、歌のフレーズや言葉の表現に抑揚が加わり、新しい魅力も生まれている。本人は出したい声、音量、音色と違うことを感じながら、それでもより良い表現で歌ったことが伝わる。この日以外のコンサートでは<イアーゴの信条><プロヴァンスの海と陸><似たもの同士><おまえこそ心を汚す者><この中に私の運命がある><終わりの日は来た>『ザザ』から<貧しいジプシー娘ザザ>や<酒の歌>も歌われた。これらは録音されなかったのが惜しい。ピアノ伴奏者の三浦洋一氏はバスティアニーニから絶大な信頼を得、常にマエストロと声をかけられ、和やかに6回のコンサートとリハーサル、そしてスタジオ録音を行った。3週間の滞在中はさわやかな思い出を持たれ、且つバスティアニーニと共に過ごした日本人では三浦氏が最も長い期間であったことを光栄である、これほど幸せなことはない、と述懐されていた。
1965年6月26日、28日東京目黒公会堂、東京杉並公会堂収録、バスティアニーニ生涯最後のスタジオ録音である。日本で6回のコンサートを終え、この収録を行った。この半年後にオペラ出演も最後となる。
先に挙げたGOP745-CD2でピアノ伴奏の6曲は1960年頃となっているが、これは間違いで1965年日本でのピアニスト三浦洋一伴奏の録音である。上記のリサイタル時とレコーディング時の歌曲が重複しているが、全てデータが違うので記載した。
<清いおとめ 愛の泉>(デュランテ)リサイタルより端正であり内に秘めた情熱が見える。バステァイニーニの従来の声がきける。<愛の喜びは>(マルティーヌ)フランス語が聞ける。古典歌曲らしい雰囲気で端正にレガートに歌われ、声もバリトンの声を胆嚢できる。<ドン・ジョヴァンニのセレナード>(モーツッアルト)言葉とフレーズがピアノに乗って流れる。逞しいジョヴァンニが現われてくる。<ヴェネツィアの思い出>(ブロージ)ムードある歌に引きこまれる。言葉に強い説得性と語尾に魅力が残る。中音と高音も甘さと哀愁ある声が満ちている。<こおろぎは歌う>(ビルリ)オーケストラ伴奏と同様に大きな歌を作っている。言葉とフレーズに独自の完成された表現が変わらないことが嬉しい。他の人がなし得なかった魅力でありカラーであった。<最後の歌>(トスティ)大きな曲に作られ歌曲の風格と品位を持たせている。端正な歌い方と力強さから真摯な感情がきくものの心に飛び込んできて感動的である。
岩城宏之指揮と管弦楽団で歌われたのは <オー・ソレ・ミオ>声の響き音色も良く強さを感じさせる。<マレキアーレ>(トスティ)この曲をバスティアニーニで聴けるとは思わなかった。全曲さわやかに楽しく歌い上げる。<帰れソレントへ>テノールが歌ったときとは別の曲のような雰囲気である。こういう帰れソレントも良いと思わせる。大きな愛について語っているよう。メリハリがあってかつ滑らかである。高音も彼の声がきける。<光さす窓辺>(作曲者不詳)ベッリーニのオペラ『夢遊病の女』の旋律に似ていて、ほぼ彼の作ではといわれている。哀愁を感じさせレガートな歌唱の中に抑揚があり、大きな歌にしている。声は1箇所息を短く処理しているが、全体に美しい声で歌われている。<カタリ・カタリ>力強く僅かだが甘いムードも出ている。たっぷり声が出ていてしかも高音も出ている。<来れ(ヴィエニ)>(デンツァ)陰影のある中に柔らかさと強さが現われ、スケールの大きい歌を作っている。<妖精のまなざし>バスティアニーニらしい胸の奥にキーンと刺す哀切な甘い陰りの声がきかれる。強く毅然とした態度の歌になっている。1962年頃の歌唱となんの遜色もない。<こおろぎは歌う>高いところから自然や人を愛の心を持って見つめたような歌唱で絶品である。<ラ・セレナータ>ソプラノやテノールの歌とは違った魅力を齎してくれる。口跡の良さを胆嚢できる。<最後の歌>トスティ歌曲の芸術を見事に再現。曲の流れ、陰りなどをたっぷりと抑揚を持って鮮明に浮かび上がらせる。個人とか甘さなどでなくこの曲が持つ高貴さが活かされている。
以上が収録されている。日付順ではオーケストラ伴奏が後だが、CDの最後にはピアノ伴奏の<最後の歌>で閉じられる。収録の様子をオーケストラ伴奏の杉並公会堂で行った時の関係者からお話しを伺ったが、実際録音もこのCDトラック通りの順序で行ったと聴いた。文字通り最後のスタジオ録音で最後のトラックが<最後の歌>となった。
バスティアニーニはこの録音を行い、パリオの行事に間に合うように急いでシエナに戻った。日本の夏の蒸し暑さと冷房の凄さに彼の身体は持ったのであろうか。当時は今ほど冷房がきつくなかったかもしれないが、とにかく日本でのレコーディングは不思議なくらい声の調子が良かったように思える。指揮者ブルーノ・リガッチが日付は書かれていないが、たぶん1964年にフィレンツェでこのようなイタリア歌曲とカンツォーネのレコーディングを行ったが、どうしてもバスティアニーニの声の調子が悪く、途中で断念したので、日本での録音は貴重であるとボアーニョの本に書かれてあった。日本での録音は各曲を最初に一度歌って二度目に録音をしていったそうである。リサイタル時よりも録音時の方がはるかに声が良い。1963年来日時の『イル・トロヴァトーレ』が深い声と響き、憂愁の音色と雰囲気漂う歌唱だったが、このCDは陰影の深さよりも、歌を歌う喜び、曲に私の心を入れるのではなく達観して曲を見つめ、大きな芸術家からの視点で歌っているように感じる。だからどの曲にも私の心を現す愛や恋の裏切りなど吸着力のある表現や歌唱ではなく、自然界にいる第三者的な捉え方で歌われているような気がする。言葉に意味が込められ慈愛に溢れているが、それらが個人的でなくて三人称の人は・・・という語り口なので暖かくスケール大きく歌われている。テノールが歌うような甘さ高音の魅力や地方の郷愁もないが、バステイァニーニからは不思議なほど真面目な素朴な人間の心が聴くものに届いてくる。バスティアニーニは舞台から遠のかざるを得ないことを知っていたし、スタジオ録音などは今後、あり得ないと認識していただろう。だからかどうか、わからないが今歌える自分の良い響き、音色で歌曲を芸術的に大きく捉えて歌ったように解釈している。そしてオペラで活躍していた時のあのバスティアニーニの声で歌われていたのだ。よくぞこのレコーディングをしてくれたことよ、としか言い様がないほど貴重である。
バスティアニーニがせめてあと10年の歌手生命があれば『マクベス』『群盗』『ルイーザ・ミラー』『シモン・ボッカネグラ』『ファルスタッフ』『ウィリアム・テル』『ドン・ジョヴァンニ』を歌っていたかもしれない。もっとベッリーニの『海賊』『清教徒』、『オテッロ』『エウゲニー・オネーギン』を歌いライヴ盤で聴けたかもしれなかったし、カラー映像のヴィデオやDVDで見られたものをとつい思ってしまう。またこのディスコグラフィーから感じることは、イタリアオペラ黄金期は途方もない超豪華歌手達が揃っていたということだ。スカラ座、ウィーン国立歌劇場、メトロポリタン歌劇場や他の劇場、ローマ、サン・カルロ、テアトロ・コムナーレ(フィレンツェ)、マッシモ(パレルモ)、ヴェローナのアレーナ等イタリア各地の大歌劇場やシカゴ、サンフランシスコ、ロサンゼルスそしてスペインやフランスの劇場での連日の公演は華やかに繰り広げられ歌手達を熱狂的に迎えたことだろう。バスティアニーニの活躍した頃は、ウィーンではドイツ語圏内の大歌手達と、そしてアメリカではメトロポリタン歌劇場に本拠を置いた人気歌手達との舞台公演であった。スカラ座やフィレンツェの劇場側はめったに上演されない演目も組んだことは、大変評価できるが、これだけの大歌手が大勢いたのだ。どうしても人気オペラ作品で歌手の大饗宴の舞台を提供したかったのかもしれない、と考えている。バリトン歌手として僅か14年であったが、バリトンの重要な役柄を殆ど歌い、録音を残したことの意味は大きい。なによりも歴史的に残る大歌手と共演できた時代にいたことは幸運であり、不世出のバリトン歌手バスティアニーニのオペラ出演遺産に大きな花を添えている。バスティアニーニもきっとこのように言ってくれるだろう。ありがとう皆さん、と。 マリア・カラス、レナータ・テバルディ、アントニエッタ・ステッラ、アニタ・チェルクェッティ、マグダ・オリヴェーロ、レナータ・スコット、セーナ・ユリナッチ、ヒルデ・ギューデン、レオニー・リザネク、レオンタイン・プライス、ジュリエッタ・シミオナート、フェードラ・バルビエーリ、フィオレンツア・コッソット、フランコ・コレッリ、マリオ・デル・モナコ、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、カルロ・ベルゴンツィ、アルフレード・クラウス、ジャンニ・ライモンディ、リチャード・タッカー、チェーザレ・シェピ、ボリス・クリストフ、ラファエーレ・アリエ、ニコライ・ギャウロフ・・・・・、そしてお互いの美声に感心を示し合った仲間ジーノ・ベーキ、ジュゼッペ・タッディ、ピエロ・カプッチッリにもありがとう、ときっと言っていただろう。ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ、アントニーノ・ヴォット、ネッロ・サンティ、オリヴェィーロ・デ・ファブリティース、ロヴロ・フォン・マタチッチ、フランチェスコ・モリナーリ・プラデッリ、ガブリエーレ・サンティーニ、アルベルト・エレーデ、アルトゥール・ロジンスキー、カルロ・マリア・ジュリーニ・・・、 優れた共演者達との舞台、レコーディングは音楽の普遍的な美しさと音楽の持つ立体的な醍醐味を形作って、鑑賞する私達を楽しいオペラの世界に誘ってくれた。半世紀も前の演奏記録はまだ色褪せない。オペラの持つ音楽の楽しさ、声の饗宴はキラキラと輝く幾種類もの宝石のかけらが私達の前に降り注ぐようで、どれほど幸福感と精神の高揚感を得ることができたであろうか。それらの感動と記憶が新たに更新され積み重ねられ、日々生きる上で反芻され、心の支えとなってくれている。オペラ、アーティスト、バスティアニーニがどれほど心の中で身近な存在であったことか、どれほどバスティアニーニを愛してきたことでしょうか。
オペラ全曲盤は現在入手不可能のCDもある。発売されたことがあっても、実際に取り扱わない業者もあり、全ての入手は不可能である。マリーナ・ボアーニョの「ETTORE BASTIANINI」の日本語訳で辻麻子、辻昌宏夫妻の「君の微笑み」ではボアーニョのデータに新たに発売されたCD、DVDが加えられている。この日本語訳出版後も、更にライヴ盤が新たに出され、またLPからCDで変換されたものも数なからず出された。今後も多いに期待したい。従来のオペラとアリア集のスタジオ録音盤とライヴ盤から転用したバスティアニーニのアリア集についてはここでは重複するので言及しなかった。バスティアニーニの同じ音源が表紙デザインと販売番号を変えて再発売が繰り返されている。実際にその都度販売された数を挙げると、LP、CDの発売はたぶん百何十という回数であっただろう。書き出した中で他にもまだCD等が存在しているかもしれない。また各盤にコメントを書き出せなかった音源については徐々に別の機会に書きこんでいくつもりです。もう一度バスティアニーニの歌唱のコメントは読者の方々でそれぞれ違う解釈、感想がおありでしょうが、筆者の独断の混ざった感想であることをお断りもうしあげます。
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