研究会活動
1992年 2月8日
「没後25周年、エットレ・バスティアニーニを偲ぶ会」東京、永竹由幸氏の自宅コンサートフロアーで開催、約50数名の参加者、CDとビデオの歌唱、写真・公演記録展示で偲ぶ。永竹氏のご挨拶、当時NHK交響楽団ヴァイオリン奏者蓬田清重氏の演奏を頂く。第2部は永竹氏の2階フロアーで懇親会を催す。参加者と共にバスティアニーニを偲ぶ熱い思いを共有した。
1992年 3月
シエナのバスティアニーニの墓前に25周年偲ぶ会を報告、シエナの生家建物の中を案内され見学。
1992年 9月
「バスティアニーニ伝記本読書会」(現在の「君の微笑み」)東京、品川区で開催。
参加者はバスティアニーニの複雑な人生をここで初めて知った。
1993年10月~2000年12月
バスティアニーニの旧友や竹馬の友アルベルト・ジャンニーニ氏から、また葬儀で棺を担いだ方々や他の住民からも思い出を語ってもらう。コントラーダ博物館〔パンテーラ本部〕やシエナ近郊のバスティアニーニの別荘へ案内され見学する。バスティアニーニとコントラーダ(パリオ行事で分けられた地区)の方々とのえにしの強さを実感する。この間イタリア・シエナ複数回訪問、同様の接触を頂く。主にイタリア内外でもオペラ鑑賞に力を注ぐ。
2001年 5月
没後35周年偲ぶ会にむけて準備に入る。バスティアニーニの孫と電話で話す。
2001年10月
シエナのパンテーラ本部へ「没後35周年」メッセージを依頼、12月届く。リニューアルされた本部見学、バスティアニーニの孫ご一家と会談し、孫に日本への「没後35周年」出席要請を正式に受理される。オペラ衣装を見る。元婚約者マヌエーラ・ビアンキ・ポッロさんと会う。ジュリエッタ・シミオナートの家で「没後35周年」へのメッセージを頂く。
2002年 1月12日
「没後35周年、エットレ・バスティアニーニを偲ぶ会」大阪リーガグランドホテルで開催、孫のエットレ・バスティアニーニ氏を招待、婚約者と共に『トロヴァトーレ』『道化師』の舞台衣装を持って参加。リサイタル来日時のピアニスト三浦洋一氏から思い出を語って頂く。スライド、CD、貴重な映像ビデオから芸術と生涯を解説する。ポッロさんからの談話、パンテーラ本部など多くのメッセージを紹介。写真、レコード、CDの多数を展示。参加者50数名。第2部で懇親会催す。参加者は研究会がバスティアニーニの身近な人々から聴取した話しと彼の辿った痛恨の生涯の足跡に、予想を超える深い衝撃を覚えられた。また不世出の大歌手を称える多彩で充実したプログラムに曖昧な良かったという感想ではなく、真に熱い感動と賛辞の声を頂いた。
2002年1月13日~15日
孫のバスティアニーニと婚約者を観光案内する。
2002年 5月~7月
シエナ市長と文化評議員、シエナ市庁舎、パンテーラ本部、コントラーダの方々、バスティアニーニの孫、マヌエーラ・ビアンキ・ポッロ、ジュリエッタ・シミオナート、マリーナ・ボアーニョへ「没後35周年開催」報告文と写真送る。大阪でフィオレンツァ・コッソットからバスティアニーニの思い出を語って頂く。
2002年10月~11月末
イタリアへ2ヶ月研究滞在。シエナ市庁舎文化評議員と会談。孫ご一家と再会、イアーゴのお墓に墓参。バスティアニーニが亡くなった家の中を案内される。故アルド・プロッティの家で奥様からバスティアニーニについて話を聞く。
2003年 3月
名古屋の三浦洋一氏のお宅でバスティアニーニ来日時の思い出話しをきく。
2003年 6月
辻麻子ご夫妻のバスティアニーニの伝記訳本「君の微笑み」出版記念会に出席。
2004年3月23日~4月2日
「早春のイタリア バスティアニーニゆかりの町とオペラ鑑賞の旅」オペラツアー企画催行。12人参加。ゆかりの地を訪ねる。マヌエーラ・ビアンキ・ポッロ、孫ご一家と夕食会等。オペラ3本鑑賞と観光。
2004年 6月19日
「オペラツアー報告会とバスティアニーニの歌唱の魅力について講演」大阪。終了後、懇親会。
2004年 6月26日
「オペラツアー報告会とバスティアニーニの歌唱の魅力について講演」東京。終了後、懇親会。
2004年10月15日
「会勉強会」大阪会場、「Ettore Bastianini」1999年ヌオヴァイマッジネ出版の日本語試訳、『タイース』の解説と盤の聴き比べ。『トスカ』『スペードの女王』の歌唱研究。終了後懇親会
2004年10月16日
琵琶湖ホールオペラ『十字軍のロンバルディア人』公演後、日本ヴェルディ協会、京都ヴェルディ協会合同懇親パーティに研究会会員と共に参加交流。
2004年11月14日
「会勉強会」東京会場、10月の大阪と同プログラム。終了後懇親会。
2005年 1月11日
「会勉強会」大阪会場、1999年出版「Ettore Bastianini」の日本語試訳、オペラ『戦争と平和』他の盤と聴き比べ、プロコフィエフについての解説とプロコフィエフ他作品鑑賞。終了後懇親会。
2005年 3月
研究会ホームページ開通する。
2005年 3月19日
「会勉強会」東京会場、1月の大阪と同プログラム。終了後懇親会。
2005年 4月11日
「会勉強会」大阪会場、『ふたつのボエーム』プッチーニとレオンカヴァッロのオペラをバスティアニーニの盤を使ってオペラの作品構造を比較。原作からオペラ化、映画化(映画鑑賞)に際しての台本と脚本の役割。オペラの音楽の力までを解説。終了後懇親会。
丸山幸子は初心者のための「オペラを始めから解説する会」を不定期に開催している。
2001年7月~2002年3月
大阪のイタリア語学学校にて「オペラを始めから解説をする会」を1回2時間合計5回開催解説する。『リゴレット』『アイーダ』『蝶々夫人』『ドン・ジョヴァンニ』『カヴァレリア・ルスティアカーナ』。
2003年11月7日
大阪・野田の地域住民サークルで「初心者のためのオペラ解説会」を催す。オペラの名曲解説、音楽という芸術が生涯の心の支えになるのは何故か、歌を歌う楽しさ、歌うことが持つ力について話す。
2004年10月31日
神戸鈴蘭台で「初心者のためのオペラ解説会」を催す。オペラ名曲解説とクラシック音楽約300年の試練を受けた芸術性に触れる。歌3曲歌う。
曲目
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「帰れソレントへ」ディ・クルティス1875-1937
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「もう、君を愛さない」パオロ・トスティ1846―1916
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「我、エウリディーチェを失えり」オペラ『オルフェオとエウリディーチェ』から。
クリストフ・ヴィリバルト・グルック1714-1787
2006年4月14日
講演「オペラと芸術」~日本に根付いてほしいオペラ芸術~
講演内容はコチラからご覧いただけます。››› オペラと芸術
2008年3月15日
京都ヴェルディ協会で講演
「ヴェルディが愛したヒロイン」 ヴェルディ作品の人物像から、その役の存在感や音楽への集中度、愛着度を分析する。
講演内容はコチラからご覧いただけます。››› ヴェルディが愛したヒロイン
<バスティアニーニ研究とオペラの旅>
日程 :2005年6月24日~7月5日
バスティアニーニゆかりの地シ エナやシルミーネを訪ね、交流する研究の旅です。またオペラも楽しみます。 オペラ:ローマオペラ座『タイース』、フィレンツェ・テアトロ・コムナーレ『ボリス・ゴドノフ』、新装なりましたスカラ座で『チェネレントラ』『ボエーム』、
夏の風物詩として親しまれていますヴェローナの野外劇場で『ナブッコ』『ジョコンダ』の6作品鑑賞です。
バスティアニーニも出演しましたゆかりのオペラ『タイース』『ボエーム』『ナブッコ』『ジョコンダ』が含まれ、特に『タイース』『ジョコンダ』は日本では上演機会の少ないオペラです。
~バスティアニーニ研究とオペラの旅~ 昨年の「バスティアニーニオペラツアー」は名バリトン歌手エットレ・バスティアニーニ生誕の地から終焉の地を辿り、ご親族や知人の方々との交流、オペラ鑑賞と史跡観光の旅でした。7月にご案内していました当研究会企画のオペラツアー「バスティアニーニゆかりの町と野外オペラ鑑賞の旅」は、緒事情により6月24日出発の「バスティアニーニ研究とオペラの旅」に変更を致しました。バスティアニーニ研究とオペラとイタリアを楽しむ12日間の旅ですが、旅行とオペラチケット手配上、申し訳ありませんが申し込みを一応締め切らせていただいています。ご参加希望者、ご関心をお持ちの方は当研究会までお問い合わせ下さい。
ツアーの報告はこちらのページをご覧下さい。
2005年6月12日「勉強会」
東京会場、『リゴレット』<ユゴーの人生とオペラになった作品について>1960年バスティアニーニスタジオ録音盤と1987年パルマ公演、クラウス、ヌッチ出演ビデオ視聴。
※会員外の参加ご希望者はメールでご連絡下さい。
会場
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品川区立中小企業センター内 3階 サロン室 終了後懇親会 |
日時
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2005年6月12日 PM2時~5時 |
費用
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《会場使用料金・資料作成費として》1000円 |
2005年 6月24日~7月5日「バスティアニーニ研究とオペラの旅」
ゆかりの地を訪ね、ゆかりの方々と邂逅し研究を深める。オペラ6演目鑑賞
2005年 9月 「勉強会」
大阪会場、「オペラ歌手百年の歌唱の変遷」とベルカント歌唱の分析。<メルバ、シャリアピン、ジーリ、喜波貞子、柳兼子、ダル・モンテ、ルッフォ、バスティアニーニ、テバルディ、コレッリ、カラス、プライス、ローレンガーからカレーラス、ゲオルギュー、チェドリンス、コヴァルスキー、等の歌唱法の変遷を楽しむ>CD・ビデオ視聴。7月帰国の「研究の旅」報告。終了後懇親会。
会場
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大阪駅前第2ビル、5階 大阪市立総合生涯学習センター 第7研修室 終了後懇親会 |
日時
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2005年9月25日 PM2時~5時 |
費用
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《会場使用料金・資料作成費として》1000円 |
2005年 10月 「勉強会」
東京会場、プッチーニ、レオンカヴァッロ「二つのボエーム」19世紀フランス激動の時代を検討、7月帰国の「研究の旅」報告
会場
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品川区立中小企業センター内 3階 サロン室 終了後懇親会 |
日時
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2005年10月10日 PM2時~6時 |
費用
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《会場使用料金・資料作成費として》1000円 |
来年度からは映画など他芸術面と関連する講演も視野に入れている。 イタリアから出版されたバスティアニーニに関する未翻訳の試訳と解説、また他のバステ ィアニーニに関する資料の訳解説。 会員の方のオペラ解説や講演等。 今年度同様、バスティアニーニのみならず広く他のオペラ歌手、オペラ作品、作曲者、原作からオペラ化への表現効果等多くの要素を取り入れて勉強会を催し、芸術全般を楽しみます。
2006年1月28日(土) 「勉強会」大阪会場
勉強会と新年会と歌を楽しむ会です。
勉強会「リゴレット」ユゴーの人生とオペラになった作品について |
解説:桂川 清子
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会場
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大阪駅前第2ビル 6階 第2研修室 大阪市立総合生涯学習センター |
日時
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午前 10:30~12:00 |
費用
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《会場使用料金・資料作成費として》1000円 |
新年会 |
会場
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大阪マルビル店 「パパ ミラノ」30階 |
日時
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午後 12:40~2:40 |
費用
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《食事予算飲み物別で》4000円 |
歌を楽しもう会~音楽好きのみなさん、歌いたい歌を歌いましょう~ |
会員でピアノ演奏活動をされている大井千世さんの演奏も行います。 |
会場
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江戸堀コダマビル・ピアノルーム 1階 |
日時
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午後 4:00~5:30 |
費用
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《会場費のみで》約1500円程度 |
2006年2月25日(土) 「勉強会」
東京会場
「ヨーロッパのオペラ劇場近況報告と解説」
会員発表:千代田 晶弘氏 |
「オペラ歌手百年の歌唱の変遷」とベルカント歌唱の分析
解説:丸山幸子 メルバ、シャリアピン、ジーリ、喜波貞子、柳兼子、ダル・モンテ、ルッフォ、ランツァ、バスティアニーニ、テバルディ、コレッリ、カラス、プライス、ローレンガーからカレーラス、ゲオルギュー、チェドリンス、コヴァルスキー、等の歌唱法の変遷を楽しむ CD・ビデオ視聴。終了後、懇親食事会 |
会場
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品川区立中小企業センター内 2階 中講習室 |
日時
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2006年2月25日(土) PM2時~6時 終了後、懇親食事会 |
費用
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《会場使用料金・資料作成費として》1000円 |
大阪日伊協会会報誌「リンコントロ」
2001年9月、Vol.16 | <イタリアが生んだ不世出のバリトン歌手、エットレ・バスティアニーニに寄せて> 丸山幸子 |
2005年9月、Vol.20 | <“バスティアニーニ研究とオペラの旅”と研究会>
丸山幸子 |
日本ヴェルディ協会会報誌「ヴェルディアーナ」
2001年10月 Vol.2 | <ヴェルディと私の不思議な縁> 丸山幸子 |
<「ラ・トラヴィアータ」に寄せて>
桂川清子 |
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2002年3月 Vol.4 | <没後35周年、エットレ・バスティアニーニを偲ぶ会 開催報告>
丸山幸子 |
2003年6月 Vol.7 | <バスティアニーニの思い出の地とオペラ、映画黄金時代のアーティストの残像>
丸山幸子 |
2004年3月 Vol.10 | <≪シチリアの夕べの祈り≫を見てパレルモを想う>
桂川清子 |
2004年7月 Vol.11 | <バスティアニーニオペラツアーを終えて>
丸山幸子 |
2004年11月 Vol.12 | <「G.ヴェルディを愛する会」に出席して>
丸山幸子 |
2006年1月 Vol.15 | <バスティアニーニ研究会イタリア旅行報告>
桂川清子 |
2006年8月 Vol.17 | <バスティアニーニのロドリーゴ その深淵と至極の芸術>
丸山幸子 |
<ドン・カルロ 雑感>
桂川清子 |
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2007年1月 Vol.18 | <最近心に残った音楽会 びわこホールプロデュースオペラとSPの会から>
丸山幸子 |
2007年6月 Vol.19 | <「三大名歌手を偲ぶシンポジウム」を終えて>
丸山幸子 |
2007年10月 Vol.20 | <バスティアニーニ終焉の家・記念碑プレート除幕式>
丸山幸子 |
2008年3月 Vol.21 | <「第3回バスティアニーニオペラツアー」の報告>
丸山幸子 |
<マリア・カラスとエットレ・バスティアニーニーふしぎな縁を訪ねて>
桂川清子 |
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2008年10月 Vol.22 | ≪ラ・トラヴィアータ≫特集。<原作小説から映画までの登場で見るヴェルディが愛したヒロイン>
丸山幸子 |
<デュマ・フィス「椿姫」とヴェルディ≪ラ・トラヴィアータ≫>
桂川清子 |
「上方芸能」季刊誌
2008年9月、Vol.169 | <少女期の美の感動と共に>
丸山幸子 |
京都音楽家クラブ 会報
2008年6月、Vol.598 | <エットレ・バスティアニーニという不世出のバリトン歌手がいた>(1)
丸山幸子 |
2008年7月、Vol.599 | <エットレ・バスティアニーニという不世出のバリトン歌手がいた>(2)
丸山幸子 |
京都ヴェルディ協会
2009年5月、 Vol. 3 | <エジプト旅行でオペラを感じた幸せ>
丸山幸子 |
キングレコード社
2002年 9月24日発売: バスティアニーニ生誕80年、没後35周年記念CD「バスティアニーニ イタリアを歌う」の解説書に文掲載。
掲載文
2002年1月12日大阪で「没後35周年バスティアニーニを偲ぶ会」を開催しました。没後25周年も開催しましたが、今回はお孫さんもオペラの衣装を持って参加下さいました。バスティアニーニと彼の親族に誇りを持ってこの会を献呈できたと確信しています。
毎年彼の命日や生誕記念日を哀悼の念で迎えていますが、特に25周年、35周年をただ個人的に追悼するだけで通り過ぎたくなかったのです。
それ故、この度の没後35周年と生誕80年の記念日に、日本でされた彼の生涯最後のスタジオ録音がCD化されて残されることは大変意義深いです。
彼はこの録音の数年も前から既に病を知っていました。しかし手術を拒み、少しでも長く歌うことを選びました。彼のその深い想いを彼の歌声から受け止めたいと思います。
彼の夭逝から何十年経過しようとも私の無念の想いは癒えることはありませんが、しかし大バリトン歌手である唯一無二の彼の存在と高邁な人間像が、私の心の支えとなり続けています。
主宰 丸山 幸子
掲載文のイタリア語訳(CDにはこのイタリア語訳は付記されていない)
Il 12 gennaio 2002 ad Osaka ho organizzato la commemorazione del 35° anno della morte di Ettore Bastianini. In precedenza avevo organizzato anche per il 25°, ma in quest’ultima occasione ci ha onorato della sua presenza il nipote, omonimo del nonno, che ha portato alcuni costumi di scena del grande Artista. Con grande entusiasmo e partecipazione ho organizzato tale evento, dedicandolo ai suoi parenti e sperando di avere onorato la memoria dell’Artista in modo degno delle sue grandi doti umane e canore.
Personalmente ricordo ed onoro annualmente il giorno della Sua nascita come vivo con dolore e rimpianto ogni anniversario della Sua morte. Mi sarebbe dispiaciuto tanto commemorare da sola i due giorni sinificativi, del 25o e 35o anno della Sua morte e non poterli condividere con tutti coloro che Lo hanno amato e Lo amano ancora.
L’ultima registrazione in studio della sua voce e stata effettuata in Giappone, ed e stato li che tale registrazione e stata pubblicata su CD, in occasione della commemorazione del 35o anno della morte e anche dell’80o anno della nascita.
All’epoca egli era gia da anni a conoscenza della malattia che presto lo avrebbe condotto alla fine. Pur consapevole della necessita di sottoporsi ad un intervento chirurgico, si rifiuto, per non privarsi della gioia di esprimersi nella sua arte, donando cosi altrettanta gioia a chi lo ascoltava e lo ascolta tutt’ora. Cosi` vorrei comprendere la Sua angoscia dal Suo canto.
Consapevole della nobilta d’animo oltre che della grandezza dell’Artista, ancora oggi, a distanza di tanti anni dalla sua scomparsa giunta cosi` prematuramente, il mio cuore soffre della perdita che l’umanita e l’arte hanno subito in quel triste giorno. Ugualmente il mio cuore e grato per la conoscenza di questa arte eccelsa che mi avvicina al profondo e misterioso animo dell’Artista.
(Maruyama Sachiko)