テノール歌手 ジュゼッペ・ディ・ステーファノ氏へ謹んで追悼の意を捧げます。

ジュゼッペ・ディ・ステーファノ Giuseppe Di Stefano

1921・7・24-2008・3・3

2004年12月、ケニア、モンバサ近郊の別荘で妻と共に強盗に襲撃され、意識不明となってミラノに搬送され入院。しかし昏睡状態のまま回復せず、ミラノの自宅で3月3日死去。86歳だった。

1921年7月24日 シチリア島・カターニアから西へ入った小さな町モッタ・サンタナスタージア(Motta Sant’Anasta’sia)に生まれる。

マリオ・デル・モナコ、フランコ・コレッリ、カルロ・ベルゴンツィなど現在では考えられないほどイタリアオペラ黄金期に輝いていたテノール歌手の中でも、若い時から認められていた歌手だった。22、3歳の録音からは混ざりけのないほれぼれとする美声、歌唱の巧さ、上品な甘い響きが聞き取れる。1947年ミラノ・スカラ座でマスネ「マノン」のデ・グリュー役で、翌年にはニューヨーク・メトロポリタン歌劇場でヴェルディ「リゴレット」のマントヴァ公爵でデビューした。

明るい透明感ある美声で、抑揚の利いた歌い回し、しかもドラマを体現できる声量も兼ね備えていた。同時期の偉大なテノールで人気が高かった上記歌手達のような強く輝く声質とはタイプが違っていた。彼独特の輝きと人の心に沁みわたる雰囲気を持っていて、その上歌には軽やかさがあり、それらが人気の所以であった。

EMI社にマリーア・カラスと多くのオペラ録音を残せたことはカラスとディ・ステーファノにも幸運だった。
ディ・ステーファノ、バスティアニーニ、カラスの舞台共演は「ランメルモールのルチーア」「ラ・トラヴィアータ」「清教徒」「仮面舞踏会」があった。1955年5月のスカラ座ジュリーニ指揮、ルキノ・ヴィスコンティ演出の「ラ・トラヴィアータ」は余りにも有名である。
今から53年も前の舞台だが、全ての条件でこれを凌ぐ舞台公演は今後も不可能であろうと思えるほど歴史的名唱と舞台であった。ゴールデンドリームキャストと言われ正に才能の共演だった。
ディ・ステーファノのアルフレードは情熱的で素晴らしく1日だけしか歌わなかったのは誠に惜しい。

バスティアニーニとの舞台共演は上記作品以外に「真珠採り」「エウゲニー・オネーギン」「リゴレット」「仮面舞踏会」「ラ・ボエーム」「カルメン」「アドリアーナ・ルクヴルール」「愛の妙薬」「トスカ」「運命の力」があった。

カラスと1973年から世界ツアーに廻ったジョイントコンサートで人気を博し、日本でもコンサートは各地で行われたが、カラスと同様もう往年の声は消え去っていた。 ディ・ステーファノは“ピッポPippo”と呼ばれ多くの人から愛される性格で人気があり、歌手引退後も多くの支援者に囲まれ暮らせたようである。

昨年ルチアーノ・パバロッティ死去の報はメディアで大きく報じられた。ディ・ステーファノもテノール歌手としての栄光と世界的な人気を誇った点では、パバロッティと同様の報じられ方をされてもおかしくないのだが、各新聞で小さく掲載されたのみであったことを残念に思う。謹んで哀悼の意を表します。

2008年3月8日
Comments: コメントは受け付けていません。

Comments are closed.