AP通信から3月10日に死去された報が新聞各誌で伝えられました。享年73歳。1932年(今まで32年から35年説まであった)アメリカ東部ペンシルベニア州で生まれる。1955年(56年説もある)にイタリアのテレビで放映された「蝶々夫人」の成功で一躍有名になる。
彼女を紹介する時、必ず“美貌の”という形容詞がついた。しかしこの一語がソプラノ歌手の真価を妨げる要因にならなかっただろうか。モッフォの声と歌唱は「ルチーア」「ヴィオレッタ」「蝶々さん」「マグダ(つばめ)」「リュー(トゥーランドット)」など報われない愛と自己の境遇に悩む女性を演じる上で、ひとつの典型を作り上げた。悲劇のヒロインの歌唱は派手さや嫌味がなく、叙情的な声に悲しみと感情表現が滲んでいたが、それは気品にも包まれていた。だから美しく共感された。
エットレ・バスティアニーニとの共演では1964年ウィーンでの「ラ・トラヴィアタ」は音源が残っており、30歳を過ぎたばかりのまさに恋愛と自己の生き方を模索した悲劇の女性そのものだった。他に「ラ・ボエーム」と1965年ニューヨークでの「ランメルムーアのルチーア」がある。
リンカーンセンターに移った新メトロポリタン歌劇場で、1972年4月22日名支配人ルドルフ・ビング辞任の業績を称える壮大なガラ・コンサートが開かれ、NHKでも放映された。メットの錚々たる歌手達と一緒に登場していたモッフォの華麗な姿はいまだに忘れられない。1970年代に入ると映画に出演もしたが、オペラからは早い引退であった。
数々の録音や写真の記憶はいつまでも多くのファンの心に刻まれたままでしょう。